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区名の由来と歴史

区名の由来

「ねりま」という地名の由来には、


関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった
石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった
奈良時代、武蔵国に「のりぬま」という宿駅があった
中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がおり、馬を馴らすことを「ねる」といった


などの諸説があり、定説はありません。


(練馬区資料提供)

練馬区の歴史

 練馬に人が住み始めたのは、およそ1万5000年前の先土器時代からとされています。区内のあちこちからは、そのことを物語る遺跡がいくつも発見されています。

千川通りと目白通りの交差点付近(昭和31年)
千川通りと目白通りの交差点付近(昭和31年)

 14世紀半ばごろ、荒川河口に勢力をもった豊島氏が石神井川に沿って領地を広げ、やがて練馬城や石神井城を築きました。以後文明9年(1477)に太田道灌に敗れるまで、豊島氏の支配が続きました。その後は太田氏、さらには北条氏の勢力下に置かれ、徳川氏の時代へと移り変わりました。

 江戸時代の練馬は、ダイコン、ゴボウ、イモなどを江戸市中に供給する一大近郊農村として発展しました。今ではほとんど暗きょとなっている千川上水は、徳川幕府によって元禄9年(1696)に開発されたもので、当時の練馬の農業にとって貴重な水資源となりました。

中村橋駅前商店街(昭和31年)の写真
中村橋駅前商店街(昭和31年)

 明治に入り、明治11年(1878)の「郡区町村編成法」により、練馬の大部分は北豊島郡に編入されました。
  大正12年(1923)の関東大震災後、都心部から練馬の人口流入が始まりました。昭和7年(1932)に東京市は35区制となり、練馬は板橋区に編入されました。

 第二次大戦後の昭和21年(1946)、練馬地域の町会長、区会議員、各種団体長が全員協議会を開催し、練馬区設置を決議しました。練馬区独立の経緯は独立小史をご覧ください。

練馬区独立小史(練馬区史より抜粋

昭和7年10月1日 板橋区成立(練馬派出所、石神井派出所設置)
昭和19年1月12日 都議会で練馬地区独立の意見述べられる
昭和19年2月17日 練馬区設置期成会結成
昭和20年8月15日 終戦
昭和21年7月29日 練馬地域の町会長、区議会議員、各種団体長が全員協議会を開催し、練馬区設置を決議
昭和21年8月7日 板橋区会で練馬区設置に関する意見書可決
昭和21年8月8日 練馬区独立区民大会開催(開進第三小学校)
昭和21年10月13日 東京都区域整理委員会で35区を22区に整理する考え方が示される(練馬区の区域は板橋区に包含)
昭和21年11月5日 板橋区会議長、同自治振興委員長名で練馬区設置に関する陳情書を都区域整理委員会に提出
昭和21年12月9日 都区域整理委員会は22区案を答申
昭和22年3月5日 都、22区案を告示
昭和22年3月12日 東京都長官から板橋区長へ、練馬区独立についての審議要求がある
昭和22年3月13日 板橋区会、練馬区独立を可決
昭和22年3月15日 東京都22区制実施
昭和22年5月3日 新「地方自治法」成立
昭和22年7月1日 板橋区議会に「練馬支所、石神井支所管轄区域の区新設促進に関する緊急動議」提出、可決
昭和22年7月10日 練馬区独立促進大会開催(開進第三小学校)
昭和22年7月30日 板橋区議会、練馬区新設を満場一致で可決
昭和22年8月1日 練馬区独立
(練馬区資料提供)